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映画「CLOSE(クロース)」は心と体がバラバラになった少年の再生の物語です
仲の良い少年二人はなにも悪く無かった。生きづらい世界をどう生きるのか、死と再生の物語です。監督は自身のゲイの少年青年期の葛藤の経験から本作を作ったといいます。性的な少数派の生きづらさと少年のフラジルな命、それがなくなった時、いかに周りを大きく傷つけるかが語らずして感じられるいい映画でした。おすすめ
⭐️⭐️⭐️⭐️(4.0/5.0)
あらすじ
多くのサイトが解説していますのでオフィシャルサイトから転載します。
13歳のレオとレミは、24時間ともに過ごす大親友。中学校に入学した初日、親密すぎるあまりクラスメイトにからかわれたレオは、レミへの接し方に戸惑い、次第にそっけない態度をとってしまう。気まずい雰囲気のなか、二人は些細なことで大喧嘩に。そんなある日、心の距離を置いたままのレオに、レミとの突然の別れが訪れる。季節は移り変わるも、喪失感を抱え罪の意識に苛まれるレオは、自分だけが知る“真実”を誰にも言えずにいた…。
— オフィシャルサイトより—
シーンごとの解釈(試聴した後に読まれることをお勧めします)
大事な冒頭
映画は暗闇の中、森林性の小鳥の囀りが聞こえるシーンから始まります。そして子供たちのひそひそ声、朝か昼間に森の近くで隠れん坊をしていることがわかります。見えない敵から逃げるためお花畑の中を笑いながら走るシーンと続きます。ずっと続くピンクの花畑の中を、愉快に疾走する二人のユートピアが描かれます。まるで映画「怪物」のラストシーンの様です。あまりに幸せそうで、幸せの頂点のエピソードが続きます。
心と体がバラバラになるレオ
中学入学の当日、二人の立ち振る舞いから残酷なまでにQを見分ける同級生の女子が「君たちは恋人なのか」と指摘されます。仲間はずれにされたくないレオはレミと距離を置き、事件が起きます。このレミの自死からがこの映画の見どころです。
レオ(エデン・ダンブリン)はバスで移動した課外活動から戻ると親たちが集まっており、レオはバスから降りようとしません。多分、降りられなかったのでしょう。乗らなかったレミ(グスタフ・ドゥ・ワエル)に悪いことが起こったと直感します。バスの中まで迎えて来てくれた母ナタリー(レア・ドリュッケール)がレオともう会えないことを伝えます。それを聞いたレオは狂気の形相で自転車を漕いで、レミの自宅を目指します。そこで見たものは、取っ手が壊れ血がついたドアでした。
このドアは少し前、レオがレミの家に泊まった時に、レミが閉じ籠った家族の事件があった場所です。朝起きると一緒に寝ていたレミをレオが怒ったことで、つれ無くされたレミが怒って、ベットで喧嘩してしまいます。直後、レミは泣きながら鍵をかけ閉じ籠ってしまった部屋です。閉じ籠ったレミを心配したレオの母ソフィ(エミリー・ドゥケンヌ )は鍵を開ける様にレオをドア越しに叱る光景をレオは見ていました。
取っ手の取れた扉は鍵のかかったドアを親が力任せに開けたことは明らかです。そしてそこで起こった光景がレオにも観客にもありありと想起できるものでした。レミの死体を見つけ、取り乱す親の姿がこのシーンを見ているだけでスローモーションの様に感じられました。この映画の中で一番辛いシーンでした。
レオはレミが自死した理由に心当たりがあります。同級生に見抜かれてレオをつれなくしたことが後ろめたく、それが自死の理由だとすると13歳の心には受け止められない事柄だったでしょう。そのため、レオは涙を流して泣くことができません。自分を守るために心がシャッターを閉めてしまったのでした。閉じた心のままレオは日常をやり過ごします。アイスホッケーの練習に打ち込み、友達とはしゃぎ、時に大笑いする日々。
そして、閉じられた心と体がバラバラになっていきます。何度やっても失敗してしまうスケーティング、壁に体当たりしても感じない痛み、時におねしょをしてします。そんな生活を何ヶ月も送ります。途中、ソフィが学校にレミの遺品を取りに来たり、レオの練習風景を見に来たりします。
レオが練習するアイスリンクに来たソフィはレオに声をかけ、「(レミの死につながりそうなことを)何か聞いていないか」とそっと聞きます。その時までレオは自分のせいで死んだとソフィが自分を恨んでいることを心配していましたが、この質問で何も残さずにレミは死んだことを理解します。聞かれて瞬間に間があり、「しらない」とだけ答えます。ソフィもレミの死の理由探しで地獄を見ていたのです。
痛みでつながる心と体
閉ざした心のレオはおねしょをしたり、兄に死ぬ直前に苦しんだかを尋ねたりします。そして練習試合か何かの時、ディフェンスのレオに相手の選手が突っ込み手首を折ってしまいます。治療中、レオは折れたての体の痛みと戦っていましたが、その痛みがレミも経験したであろう死の痛みと同じだと気づき、涙が溢れ出しました。レオの心が体の痛みを通して体とつながったシーンでした。周りの大人は痛いから泣いたと受け取り、本人の真実に気がつけません。
やっと泣けたレオは大切な人の死をやっと受け入れられる様になりました。
ソフィの見た地獄
映画ではレミが自殺したのはレオは自分が突き放したからだと思わせますが、そうとは限りません。レオは農家の2番目の息子、レオは共稼ぎで一人っ子。レミはオーボエを小さい時から練習させられ、親の期待通りに上手になり発表会でもソリスト風に吹きます。親の期待と反目が当然あったはずでそれでソフィは自分を責めていたはずです。無理、強いしてしまったのかと。もちろん、進学を機にレオとレミの仲が微妙になっていたことも知っているでしょうし、学校側も理由はわからないと説明していたでしょう。ソフィは理由探しに囚われて仲の良かったレオも疑っていたはずです。
レミの選択
レミはなぜ自死したのか、どう死んだのかは明らかにはされていません。レオとの関係を主軸に描く本映画はレオからつれなくされたことが理由と思わせます。レミが死んだのはバスでの課外授業の日でした。
自分が死ねば当てつけになることはわかっていたし、それを狙った日だと思われます。なので衝動的かもしれないけど計算もしていたと思いました。誰に当てつけたのか。つれなくしたレオか、レオの心を遠ざけたクラスメートか、それとも親達か。死んだ人の本当の気持ちはわかりませんが全部だった気がします。その日を選んで死んだのだと思います。
感想
バラバラになった心と体は痛みで元に戻るきっかけを得ました。閉ざされた心を開くきっかけであり涙も出る様になりました。心(大脳)が自分を守るために心を閉ざしたのですが、体と噛み合わなくなり余計辛くなりました。離れ離れの心と体を繋いだのが時間と痛みでした。痛みは人にはとても大切な属性だと思います。捕食される動物には痛みを感じにくくするあるいは表現しないようにできています(動物感覚)。人では痛みは大脳の働きでうまれます。ニューラルネットワークという同じ仕組みのAIは身体性の接地がないと言われます。AIが自分を守るために心を閉ざした時、痛みを感じないのはやはり問題だなと思います。AIにも痛みが必要だと思います。直接映画とは関係ないように見えますが、映画が多くの気づきを与えてくれます。
本作は登場人物とくにレオの近接映像と音響だけで言葉少なく展開していきます。遠景や余計な説明があまりありません。それでもよく心の動きがわかりました。
ラストのシーンは冒頭のお花畑に一人歩くレオの顔が映ります。子供だった1年前から友人の死とそれを乗り越え、前を向く成長した青年の顔になっています。レミの家族とはもう会えないでしょうが、自分の人生を歩んでいく希望が見えるエンディングでした。
監督・脚本のルーカス・ドンは自身のゲイの少年青年期の葛藤の経験から本作を作ったといいます。性的な少数派の生きづらさと少年のフラジルな命、それがなくなった時いかに周りを大きく傷つけるかが語らずして感じられるいい映画でした。
いい作品を上映してくれてメトロ劇場感謝です。
以上です
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created: 2023-09-22 14:24:56
modified: 2025-02-07 18:21:42
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