toriR blog
「小野リサ福井公演」はバック演奏の素晴らしさと人の良さを感じるコンサートでした
雨が上がり、太陽が顔を出した時間にコンサートが始まりました。演奏がとても良く、特にピアノの演奏が素晴らしかったです。ドラムも手先が器用でした。ベースはエレキが得意な方ですが、ウッドベースもジャストタイミングでしっかり全体の曲の流れを支えていました。PAも音像が綺麗にまとまっていました。それだけに体調が悪かったリサさんはさぞ悔しかったでしょう。音程が外れっぱなしで痛々しかった。囁くような声質は健在にだけに悔やまれます。また同じ聴衆者の皆さん、バンドメンバでやらせてくださいとの申し出に人の良さを感じました。バック演奏の素晴らしさに助けられた及第点のコンサートでした。最後の曲はストリングスが入ったアレンジを聴きたいな〜満足度
⭐️⭐️(2.0/5.0)
出演
小野リサ(Vo,AG)
林正樹(P)
クリス・シルバースタイン(B)
斎藤良(dr)
構成
2部構成で1部はボサノバ中心でした。イパネマの娘から始まり、ボサノバの生い立ちがジョアン・ジルベルトによるギター演奏が確立され、ブラジルの伝統的な大衆音楽サンバとJazzのコード進行がを取り入れたと解説され(確か)とてもわかりやすかったです。2部はボサノバではなく日本のポップ曲でした。石垣島に行って練習したと言う「涙そうそう」でしっとり歌っておられました。吉田拓郎の「旅の宿」、竹内マリア「駅」がありびっくりしました。変曲がボサノバ調でもなく、ちょっとカラオケになっていたのはご愛嬌でしょう。最後の「いのちの歌」の曲を知りませんでしたが、なぜ選んだかを「1度目聞いて、あらいい曲、2度目聞いて心に沁みる、3度目で号泣」のようなことを仰っていて、歌を聴いてやりたかった理由納得です。いい曲でした。
ボサノバについて
改めてwikipediaのボサノヴァを読むと、時代に翻弄されるも日本で愛されていることがわかります。
戦後における都市文化の爛熟期にあったブラジルには、アメリカをはじめとする国外での人気も後押しして若いアーティストたちが続々と輩出され、創始者のジョビンやジョアン・ジルベルトらを離れて拡大し多様化したボサノヴァは、1960年代初頭から中頃にかけて、戦後の平和と経済成長による「ゆとり」を持った「時代の空気感」にマッチし隆盛を迎えた。
〜
1964年、ブラジルでクーデターが発生すると、国内での様相は一変した。カステロ・ブランコ[注 5]によるブラジルの軍事独裁政権樹立と、それに伴う強圧的な体制は、「リオの有閑階級のサロン音楽」的な傾向のあったボサノヴァを退潮させる要因となった。
〜
加えて1960年代半ば、世界的に音楽界を席巻していたのはビートルズをはじめとするロック・ミュージックであった。ブラジルの若者の間でも、ボサノヴァの都会的洗練や知的な雰囲気をヨーロッパ白人中心主義の象徴とみなし、そのアンチテーゼとしてロックは人気を集めはじめていた。
〜
ブラジル音楽評論家の大島守は、「ボサノーヴァはリオで生まれ、サンパウロで育ち、バイアで死んで、日本で生き返った」と、ボサノヴァの栄枯盛衰を端的に表現した。
— ボサノヴァ(wikipedia)より—
ともあれ、日本でのボサノバ人気は小野リサさんの功績も大きかったでしょう。そのリサさんが福井で講演されるのですから期待も大きかったです。
演奏について:ピアノが、ドラムが、ベースが素晴らしい
ピアノの林正樹さんは、このバンドの演奏で初めて認識しました。
渡辺貞夫、小野リサ、菊地成孔、椎名林檎など、多岐にわたる様々なジャンルの音楽業界の重要人物のプロジェクトに参加しているジャズ・ピアニスト。多種多様な音楽的要素を内包したソングライティングと繊細さが融合した演奏スタイル、そしてその作曲・編曲能力は、ジャンルを超えて各界で高く評価されている。中学時代より独学で音楽理論を学び、その後、佐藤允彦、大徳俊幸、国府弘子らに師事。ジャズピアノや作編曲などを習得する。
—林正樹(wikipedia)より—
wikipediaを読むと好きなアーティストが数多くあるので、どこかで聞いていたのでしょう。
当日の演奏は素晴らしかった。ボーカルを引き立てながらリズムとハーモニーが全く乱れずドラム&ベースとアンサンブルされていました。
ドラムの斎藤良さんの演奏はお茶目でした。色々なリズムやパーカッション、笛で多彩なリズム空間を聴かせてくれました。
ベースのクリスさんはエレキベースの方が得意そうです。大半はウッドベースでしたが、ボサノバだけでなくJ-POPも小野リサワールドをしっかりサポイートしていました。
ヴォーカルは体調が非常に悪く35年のキャリアで初めてだそうです。大層悔しかっただろうと思います。