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用水路を流れる水を見て宇宙や神を考えてみました

今日山を歩いていて用水路を見ました。用水路には水が流れていています。その水はそこにしか流れないようにデザインされています。自然の本質は移ろいです。なのに流れを変えない用水路。この対比が面白いと思いました。自然や宇宙は開闢以来一度たりとも止まったことはありません。ではなぜ人は水を固定化するのでしょうか。
流れを固定化する用水路、自然・宇宙は変化が本質。そこにコンフリクトが起こります

自然や宇宙の本質が変化だとするとなぜ人は水の流れを固定化したいのでしょうか

それはその方が短期間でも安心できるからでしょう。用水路の代わりに小川にすると大雨の時、小川は川となり、法面を削るでしょう。そうすると法面の上に整地されたバンガローが崩れてしまうかもしれません。そうするともうバンガローには泊まれなくなります。

変化を恐れる心象

人は絶対なるものに憧れ、絶対神の存在に心の平安を見出そうとしてきました。動かないものに錨を降ろせばもう流されなく自分の心も安定すると考えているようです。自然は変化が本質だとすると、その自然から生まれた人間はなぜ絶対的なもの、不動のものに憧れを抱くのでしょうか。それとも変化を恐れるのでしょうか。

「変化を恐れること」は行動経済学では現状維持バイアスと呼ぶようです。1960年代に行われたスタンフォード大学の心理学者、ウォルター・ミシェルが行った「マシュマロ・テストが有名です。

4歳の子どもの前にマシュマロをひとつ置いて、「15分後まで食べずに我慢できていたら、マシュマロをもうひとつあげる」と伝えて席を外す、3人に2人は15分間我慢できず、マシュマロを食べてしまうという結果だそうです。自己利益の最大化は、目の前の衝動に勝てないのは進化で身につけた特性で、物や食料が不足するような環境では、目の前に食料(利益)があればすぐさま確保するのが適応的だとされます。

変化が不安で怖くて辛いと思う心が数千年まえ絶対神信仰を生んでしまったのでしょうか。

不動のものとして人工物が時として自然の変化の力に負けてしまうのは当たり前です。変化は確率過程であり時間をかければいくらでもエネルギーの大きなイベントが起こり得ます。対して人工物の耐久強度は有限です。無限vs有限では叶いっこありません。

安全安心の設計に絶対神にすがるという本質的な誤りがあるように思えるのです。そんなことを用水路を見て思いました。

参考:

本能か呪縛か。「変われない人」の意思決定のしくみ

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created: 2023-05-16 15:12:12
modified: 2023-08-25 17:19:18
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keywords: 気づき 絶対神

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