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映画「怪物」は切ない映画でした。音に注意してみるといいですよ。

怪物を見てきました。切ない映画だと思いました。さまざまな視点の提示で惑わされますが、見終わった後残る印象は「切ない」でした。この映画は音に意識して見るといいなと思います。普段聞くことのないアオジのさえずりが聞こえたり、夜に風笛の音が聞こえたり、コップを二回ゆすぐ音が聞こえたり。背景音で物語に重相関を与えています。なぜこの音が入っているのだろうと想像しながら見るといいと思います。
怪物ポスター

本記事は、まだ一回しか見ていませんが、映画について思い、考えたのでその備忘録です。また、書き直すかもしれません。多分書き直すでしょう。ネタバレ含みます。

全体の感想

いろいろなことが日常に起きて、それが人によって捉え方が異なり、その異なった捉え方で人が影響を受け誤解し、時には御せないぐらい事が大きくなって、事故・事件が起きます。それは小学5年生という親の庇護を全面に受けている幼児、子供時代から自我が芽生える青年時代の入口に入った少年の心に沸き起こった異変でした。主人公の湊くんは少年ながら、愛情かけて育ててくれるシングルマザーの期待も十分わかる年頃です。中学生時代特有の反発は少なく、でも自分の世界を持ち始めている年頃です。

彼の心の葛藤を軸にして周りの大人たちを巻き込みながら物語は多重的に展開していきます。

映画「羅生門」にも例えられる3つの視点の構成のストーリです。早川湊くんの母親の視点、教師堀安先生の視点、そして早川湊くんの視点。

順に謎解きが進んでいくのですが、本映画の見どころは大人たちの右往左往ではなく、子供の内面と立場との葛藤にあると思いました。母である麦野早織(安藤サクラ)の視点で彼女が抱く学校への不信感に共感し、次に担任である保利先生(永山瑛太)の視点で描かれる展開では、事勿れ主義の学校と同僚先生、モンスターペアレントの対応、離れていく恋人の不情にやるせなさを感じ、そして麦野湊(黒川想矢)くんの心と行動が切なく健気で痛々しく、それでいて爽やかさも感じられる、よくできな展開だと思います。

是枝監督は坂元脚本の原題「なぜ」を「怪物」に変更したといいます。3つの視点が順に展開され、そのなかに様々な伏線が張りめぐされ見ているものを惑わせます。そこが面白かった。

監督の表現したかったことはなにか

一回見た印象で言えば自分の心にある同性愛に気づきながらも押し隠そうとせざるを得ない少年の葛藤を主題にしながら、大人たちの見方でこうも事象が異なって見えるというストーリの面白さをまず提示したかったのでしょう。そして、事象に対する反応は個々人に委ねられているわけですが、置かれている環境や過去の経験、ことに当たる誠実さで個々人の苦悩も描きたかったのだろうと思いました。でも一番苦労したのはエンディングだったろうと思いました。

母沙織の設定は少しステレオタイプ的

一人息子の湊に起こっている様々なネガティブなこと、スニーカーが片方しかなかったり、泥水が水筒に入っていたり、突然髪切ったり、豚の脳や生まれ変わりの話をしてみたりを通して学校でいじめにあっているに違いないと確信するのも無理はないことだと思います。でも学校で先生にイジメにあっていると抗議するところはちょっと違和感がありました。

もっと違う風に言えば違った展開になったのではないかと思いました。息子はうそをついているかもと思うだけで対応が違ったでしょう。

息子を盲信する親というのは受け入れやすい設定なのかもしれませんが、古今東西の悲喜劇がうそをつかない人間はいないと教えていますので、親の心情のステレオタイプな設定だったかもしれません。

で、校長は何を守りたかったのか

また校長は最終的に何を守りたかったのかよくわかっていません。結果的に湊くんの秘密を守ったのはそうなのですが最初から子供を守るという姿勢ではなかったように思います。「事実なんてどうでもいいんだよ」とか「スーパーで子供の足をかける」とか、「刑務所での夫とのお菓子泥棒の話」とか一貫して何を表現したかったのか読み取れませんでした。後に引用した解説記事では「銀河鉄道の夜」のサソリで自己犠牲を表現しているとあったのですが、そう言える映像はわかりませんでした。

### 美しすぎるラストは切なすぎる

ラストは意見の分かれるところです。二人は生きているのか死んだのか。

嵐のあと、なんとか電車から這い出た二人ははしゃぎながら草の生えた命あふれる線路跡地を走り抜けます。途中にシーン切り替えで画面が真っ白になるシーンがあったのですが、それを見て「あー、この二人は死んじゃったんだな。(あの世でも)生まれ変わりでもう離れ離れになることはないんだな。」と思いました。アオジが囀る美しいシーン。それだけに一層、麦野湊くんと星川依里くんの人生の閉じ方が切なく感じたものでした。

でも、監督の意図は死ではないらしい。

是枝裕和監督、映画『怪物』ラストシーンの編集を変えた意図は? 撮影前には専門家のレクチャーも

作りては色々試行錯誤してこの作品に仕上げたのでしょう。

二人は死ななかったとすると、疑問が湧きます。翌日、先生とお母さんはどうなったのでしょうか。電車は土砂に半分埋まってました。前の晩、土砂崩れの前に窓からの呼び掛けで二人の存在は子供達には分かっただろうと思います。

どの時点で土砂崩れがあったのか分かりませんが、子供達は生きていたとすると、嵐の中、光のない所で一晩過ごしたことになります。明かりのない闇に暴風のなか過ごすのはとても怖かったはずです。恐怖の中一晩過ごして、翌朝二人だけで幸せな世界を感じるのは10歳では無理だと思いました。この年では性愛より生存本能の方が勝ると思うのです。なので二人は他界したと解釈したほうが自然です。死んだとも取れるし生きているととも取れると余白を残した編集なんでしょうから、死んだあと(正確には死に際の脳内現象)だとしたいです。

素晴らしかったところ

  • 星川依里(柊木陽太)の天真爛漫な演技。この天真爛漫さで親から虐待を受けていたとか、イジメにあっていたとか、「外見から図らないでしょう」と是枝監督が言っているような見事さでした。
  • 麦野湊の演技も素晴らしかった。心のプレッシャーを暴れることでしか表現できない辛さなど見ていて心むしられる思いでした。
  • 環境音が良かった。伏線が張られまくったストーリを映像以上によく表現していました。廃電車のシーンは本当に命あふれる音風景でした。
  • 校長の不気味さ。田中裕子さんがはまり役でした。なにか引っかかる人物でした。編集で落ちたところもいっぱいあったのでしょうが、もう少し内面を見てみたかった。

解説記事

こちらの解説記事はよくできているなと思いました。

校長の解説記事はあまり見当たらないですが、次はその解説動画です。

私はロジカルでシンプルな解釈が好きなので、わからない事柄をあれこれ詮索するのが好きでないし時間の無駄だと思っているのですが、言語化能力は高めたいので色々な見方があるという点で参考になりました。校長は最後自己犠牲したというのはこの編集の映画からは無理があるなと思いますが、確かになぜ嵐に打たれるのか説明はないかったです。見る側に任されているといえばそうなのかもなのですが、3つの視点の中に校長の視点を入れられなかったのはもともとの脚本になかったのか、編集で落ちたのか、中途半端で一回見ただけではよく分かりませんでした。これからさまざまに校長の分析が出てくると思うので楽しみです。

以上です。

Article Info

created: 2023-06-14 09:26:53
modified: 2023-08-23 17:24:39
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