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映画「ポトフ〜美食家と料理人〜」で知ったズアオホオジロの悲劇

本編を見て美味しいものを追求する姿は確かに美を追い求める芸術だと思いましたが、白ナプキンを被って小鳥を貪る料理が調べてみると最近まで続いていた(る)食文化である事を知ってとても残念でした。美食の世界を教えてくれたこの映画に感謝ですが、映画の中で本物の小鳥を使っていないのか、コンプライアンスの観点で気になりました。
ポスター画像

おすすめ

⭐️⭐️⭐️⭐️(4.5/5.0)


あらすじ

19世紀フランスで食を芸術にまで高めた美食家ドダンと、彼が閃いたメニューを完璧に再現する料理人ウージェニー。二人が生み出した極上の料理は人々を驚かせ、類まれなる才能への熱狂はヨーロッパ各国にまで広がっていた。ある時、ユーラシア皇太子から晩餐会に招待されたドダンは、豪華なだけで理論もテーマもない大量の料理にうんざりする。食の真髄を示すべく、最もシンプルな料理ポトフで皇太子をもてなすとウージェニーに打ち明けるドダン。だが、なんな中、ウージェニーが倒れてしまう。ドダンは人生初の挑戦として、すべて自分の手で作る渾身の料理で、愛するウージェニーを元気づけようと決意するのだが――。

  • 監督:トラン・アン・ユン(ベトナム出身、フランス パリ育ちの映画監督・脚本家)

  • キャスト:

    • ジュリエット・ビノシュ
    • ブノワ・マジメル
    • エマニュエル・サランジェ
    • パトリック・ダスンサオ

おすすめ度

⭐️⭐️⭐️⭐️(4.5/5.0)

良いところ

  • とにかく食事作りのプロセス映像が見応えがあり、素材が料理になっていく過程は見ていて飽きません
  • コンソメスープがこんなに手間のかかる料理だとは知りませんでした。一度食べたいと思わせます。
  • 音楽がエンディング以外一切ない所。音は、屋外の小鳥達や動物達の声と足音、料理や食器の音だけでした。それでも映している大体の時刻も季節もちゃんとわかりました。

もうちょっとの所

  • 上映館のせいもあるでしょうが、ロウソクの灯りが照明だったころの映像とはいえ、暗く表情や料理中の手元のディテールがよく見えませんでした。これが映像の解像度が高ければもっと映画の理解が深くなったでしょう。農家育ちの少女ポーリーヌが美味しいものを初めて食べた時に見せたであろう至福の(泣きそうになった)顔がわからなかったのが惜しいです。
  • カメラワークが絶えず左右にふれる演出で見ていて疲れました。特に野外でも夜のドダンとウージェニーの会話のシーンが特にそう思いました。

感想

  • 映画は出だしが肝心です。始まりで面白いかどうかわかります。暗がりの屋外で中年女性が植物を選んで引っこ抜いていますが、大勢の小鳥達が囀っていることから季節は春で夜明け前のdawn chrous時間帯(夜明けまでの30分前)であることがわかります。次に調理場の暖炉に薪が焚べられ、起きてきた寝巻き姿の主人ドダンが料理人のウージェニーを探し、侍女が畑にいる事を伝えと畑に出ていくところから映画はスタートします。余計な感情表現の音楽がないのが淡々とした演出でとても良い。
  • そこからが圧巻です。野菜、魚、鳥などの素材がそれこそ魔法がかったように美味しそうな料理に変っていきます。炒められ、茹でられたもの達がフライパンや鍋を移動するたびに味が混じり合い、整っていく様が同時進行していきます。見事です。この冒頭の30分はあろうかと思われるシーンはもう一度見たい。
  • でも美食家ドダンと住み込みの料理人ウージェニーの二人の関係は微妙です。20年同じ料理を探求し、同衾もしょっちゅうある二人ですが、頑なに結婚を拒むウージェニーの理由は明かされません(見逃したかな)。余命いくバクもない時期に結婚するのですが、この辺りの心理描写は料理ほど切れ味は良くないです。それでも、二人は性愛を超えたガストロノミー(美食芸術)の探求者として、信頼し合える関係であることがよくわかります。それが証拠にラストシーンで妻でなく料理人として20年付き合ってくれたことにウージェニーは感謝するのですから。
  • この映画で食べる事も勉強になりました。まずワインは料理の一部であること。ワインはワインだけの味を楽しむうものでなく、また料理だけが完璧なわけでもない。料理を1〜2口食べた後、ワインを口にして料理と共に口の中で味わうことで更に料理とワインともに美味しさを増すのだということがよくわかりました。
  • また、スアカホオジロの食べ方は興味深い。いろいろな事を教えてくれました。黒ずくめの髭面の男達一人一人が染みのある白い布ナプキンを頭からかぶって小鳥のかぶりついています。香りが逃げてしまわないようにしていると解釈しましたが、側から見て滑稽です。最大限美味しさを味わうことの真剣さがコミカルな姿を晒すことになり、見た目より美味しさがガストロノミーの美のありようなのでしょうか。馬鹿馬鹿しいくらい食べることに貪欲なその姿は滑稽で時代的な遺物だなと思いました。
  • でも調べて驚きました。このズアオホオジロの捕食は映画が描く19世紀の遺物的食行動だと思いましたが、なんと、今に続く文化的伝統なのだそうです。この2017年の記事によると今でもズアオホオジロは毎年秋に3万羽捕獲され、1980年以後個体数が84%も減少したのだそうです。日本での密猟による小鳥の捕食はなりを潜めましたが(実態は不明)、なんと、温暖化防止と生物多様性を訴える欧州の、その中心国フランスで、今も続く文化的伝統として1990年の保護鳥指定と禁猟の法律ができたにも関わらず当局が取り締まらないのだそうです。記事はフランスのエコロジー・持続可能開発・エネルギー省が、ズアオホオジロの大規模な罠猟を止めると発表したことを伝えています。感情的には食べるための小鳥の捕獲は野蛮と感じます。この国の捕鯨を非難するのと同根の感情なのだと思いました。なお、ナプキンをかぶるのはこの料理を食べているという罪を神から隠すためという説明も見かけました。1995年、元フランス大統領フランソワ・ミッテランの最後の大晦日の食事には、この特別に調理された鳥が含まれていたそうです。最近ですわな。このシーンを入れた映画監督のトラン・アン・ユンは少なくとも悪癖としては演出していないですね。ネット検索して下の写真を探し出したのですが、映画では本物ぽかった(野生動物の捕食全般を否定しているわけでなく、野生のズアオホオジロを使ったなら違法で問題です)。

  • 映画の終わり方は凡庸かな。妻となった料理人のウージェニーを亡くしたドダンが、失意の中から立ち上がるのも驚くほどの美味しさで、美味しさを理解する幼いパートナー、ポーリーヌとまた美食の旅に出るという演出でした。

ズアオホオジロが今に続く伝統食ということを学ぶキッカケをくれたのは良かったですし、全体として19世紀の美食家と料理人の生き様を教えてくれた本作は見て興味深い映画でした。でも本当にズアオホオジロを使っていないのかのコンプライアンス的には気になります。

以上

Article Info

created: 2024-01-03 07:40:46
modified: 2024-01-03 15:32:46
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keywords: ズアオホオジロ ガストロノミー 美食 料理 文化的伝統

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