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無償奉仕社会は続かない ――構造的無償労働からの脱却
身近なコミュニティほど「無償のプロ依頼」が生まれやすい。簡単そうに見える成果の裏にある努力が見えない“認知の非対称性”こそが、組織と社会の持続性を壊しています。どう克服するか、考えてみました。
1. 導入:身近なコミュニティほど“無償のプロ依頼”が生まれやすい構造がある
自治会、PTA、同窓会、研究会、NPO、小規模な市民活動。
こうした“ゆるやかな共同体”では、役割分担が曖昧なまま始まることが多く、そのたびに「詳しい人がちょっとやってくれませんか?」という声が自然に生まれます。
ホームページの管理、デザインや印刷物の作成、Excel
集計、フォームの設定、SNS
投稿、動画編集、広報文章の校正、そして IT
システムのメンテナンスまで、どれも外から見ると“簡単そうに見える作業”ばかりです。
そのため、善意を前提とした“無料でお願い”が常態化し、プロとして生計を立てている人であっても、専門性を意識されないまま無償の作業を頼まれることがしばしばあります。
しかし、ここで重要なのは、頼む側に悪意があるわけではないという点です。
問題の根っこは、作業が“簡単そうに見えてしまう”という
認知の非対称性
にあります。専門家の判断、経験、調整、検証といった不可視の工程は、成果がスムーズに見えるほど存在感を消してしまいます。そのため、頼む側は「大した作業ではないだろう」と自然に思い込み、頼まれる側は「簡単に見えるのは裏で努力した結果なのに」と感じる。
この両者のズレこそが、“構造的無償労働”(善意が無意識に搾取を生む構造) の根本にあると考えています。
2. 本質:専門家の成果は、簡単そうに“見えてしまう”という非対称性
技術者・研究者・デザイナーなど専門職の成果物は、完成してしまうと驚くほど“なめらか”に見えます。HP が安全に動いている、ページが正しく表示される、メールが滞りなく届く、データが壊れない。これらは本来、膨大な調査や判断の積み重ねの上に成立しているにもかかわらず、表からはその努力が透けて消えてしまいます。
例えば、ホームページの サーバ移行の選定 だけでも、本来は次の要素を検討します。
- セキュリティ基準と脆弱性対応
- HTTPS・PHP のバージョン互換
- OS やミドルウェアの寿命
- 安定稼働の実績と障害傾向
- GitHub からのデプロイ可否
- 後任者が学習なしで運用できるか
- ログ・バックアップの取り回し
- コストと管理負荷の最適化
- トラブルが起きたときの復旧速度
どれも専門家の目利きがなければ判断できない項目です。にもかかわらず、成果が「普通に動いている状態」に見えてしまうため、努力や技能は“ゼロ扱い”されやすくなります。これが 認知の非対称性 であり、人々が専門性の価値を見誤る構造的な原因になっています。
3. 専門家の背後にある“アヒルの水かき”
整った仕組みほど、裏側の動きは見えません。水面を静かに進むビニールアヒルも、もし水面下をのぞけば、小さなエンジニアたちが水かきを必死に回しているかもしれません。記事トップのイラストは、まさにその比喩として描いたものです。
IT システムもまったく同じで、正しく動いているときこそ、技術者の調整が完璧だった証拠です。この構造は、社会インフラにもそのまま当てはまります。
- 水道 は 24 時間止まらない
- 電気
はスイッチを押せば必ず灯る
- 電車 は毎日決まった時間に来る
- 病院のシステム
は日中の混雑でも落ちない
- 駅の券売機 は正確に釣り銭を返す
どれも“当たり前”に見えますが、裏では膨大な点検・設計・監視・保全があり、エンジニアが止まらない仕組みをつくり続けています。専門性とは「問題が起きないようにする力」であり、その成果は常に目に見えません。
4. 無償奉仕に頼る社会は、やがて崩れていく
無償文化は、たいてい善意によって始まります。ところが、それが制度のように固定されると、次のような問題が生まれます。
- 専門家に負担が偏る
- 後任が現れなくなる
- 依頼する側が“必要な対価”を知らなくなる
- 組織の持続性が低下する
- 無償のスキル頼りという脆い構造ができあがる
善意の行為が、長期的には組織の弱体化につながる。これが“構造的無償労働”の怖さです。悪意はなくても、専門家の時間とスキルが無料であることが前提になると、社会は静かに壊れていくのだと思います。
5. だからこそ、専門家は“無償と有償の境界線”を持つ必要がある
私はこの問題に向き合う中で、自分自身に次のような線引きを設定するようにしました。
- 月 8
時間まではボランタリーとして協力
- それ以上はプロとして有償扱い(例:4 時間=1 万円:時価の数分の一)
これは、単に請求したいからではありません。無償が当たり前になると、善意は続かないからです。境界線を持つことは、専門家の矜持であると同時に、組織の持続性を守るための最低限のルールだと考えています。
依頼する側も、言われなければ気づけません。だからこそ、プロが自ら線を引いて可視化しなければ、構造問題は永遠に解消されません。声なき問題は、「問題がないもの」として扱われてしまうからです。
6. 結語:無償奉仕社会から脱却しないと、未来は続かない
“無償の善意”だけでは社会は回り続けません。専門職の技能は無料の共有財ではなく、長年の経験と判断の積み重ねです。
大切なのは、
無償=悪、有償=善
という単純な構図ではなく、
どこまでが善意で、どこからが専門性か
という境界を丁寧に引くことだと考えました。
見えない専門性に敬意を払ってもらうことは、個人事業主であってもプロとして必要な姿勢です。そして、双方が納得して続けられる仕組みを整えることが、最も大切なのではないでしょうか。そのどちらも欠けては、社会も組織も未来を失います。
私たちが脱却すべきなのは、人に負荷を押しつけて回す“無償奉仕社会”です。境界線を持つことこそ、専門家の矜持であり、持続可能な共助の第一歩だと感じています。